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霊峰富士の雪が伏流となり、ここ忍野村忍草で八つの湧水と
なり、古くから富士山信仰の霊泉となってきて「忍野八海」。
 ここからの茅葺き民家と忍野富士のながめは、絶景である。
 第一番霊揚である「出口の池」を始め「お釜池」「底抜池」「銚
子池」「湧池」「濁池」「鏡池」「菖蒲池」と続く計八つの池から成る。
 その第三番霊湯「底抜池」を抱く大きな林を背に約九千坪
(29,700u)の旧豪族屋敷地内にゆったりたたずむのがこの「榛
の木林民俗資料舘」=渡辺 泉氏経営=である、間口九間半、
奥行五間半の母屋と、間口五間、奥行二間半の隠居屋は特に風
格をかもしだしている。(いずれも十八世記の建造物と推定され、
富士山北麓一帯では、最古の民家の一つとされている)
「榛の木林民俗資料館」とは地名(忍野村大字忍草小字榛の木
林)から、つけられたものである。


 母屋の玄関をくぐった、広い土間の奥の天井部分に吊されて
いるこの古めかしいお駕篭は、在地領主の流れをくむとされて
いる家格を如実に証明するものである。
 江戸時代の普通の輪番制名主などは、所持どころか使甲する
ことさえも禁じられていた。

間取り

 土間の左手の南向きに十二畳半の一の座敷がある。長い歳月
を感じさせる、太い梨の木の大黒柱と高い天井の下に露出する
弓形の梁。
 この部屋が十八世紀以降の江戸期の村役場事務室であったと
推定される。
 並びのこの座敷、(十二畳半)及び三の座敷(十畳間)にかけ
ては、幾代かかけて守られてきた、長持、箪笥、重要書類、家
宝の他、四百余年前に先祖が着用した鎧、兜、刀剣類などに至
る古色蒼然たる民俗資料がおさめられている。


 数ある古文書の中でも、特に
重要なのは三の座敷の床の間に
鎮座する。後北条氏の朱印状で
ある。
 天正十年三月十一日武田勝頼
が天日山に滅び、甲斐四郡は織
田信長の手に落ちた。六月二日
その信長が本能寺の変でたおさ
れ、好機致来とばかり行動を開
始したのが、北条氏直と徳川家
康。たがいに甲斐の国とその周
辺の真空地帯を狙い、北条氏直
は手始めに、甲州郡内領を経略
しようと企て、六月十五日家臣
の幸田大蔵丞政治に命じ、渡辺
庄左衛門尉あてに、朱印状を送
らせ、郡内領での総決起を強く
促した。
 結果的には、後北条氏の甲斐
侵入は失敗に終わり、同朱印状
を受けとった庄左衛門尉の側も
実際にどのような動きをみせた
かは不明である。







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